TBCと言っても、あのエステティックサロンとは違います。
tbc.co.jpが東北放送のドメインかと思っていましたが、違っていました。
放送局なら早くとっておけば良かったのに、と勝手なことを思っていました。


ホームページ移りました
https://seven.apples.jp

中学生の頃

1968年の春、北国で中学二年の新学期を迎えていた私は、姉が大学入学とともに一人暮らしを始めるということで、姉とともに仙台へ出て来ました。 姉は大学へ、私は中学へと通う毎日でした。
子供のころから電子工作等に興味を持っていた私は、学校の友達がハムの免許を持っていた影響を受けて受験し、 電話級アマチュア無線技士という一番やさしい免許をどうにかとりましたが、開局はしませんでした。
友達をコールサインから、ホッテントット・モスラ・ライオン、もう一人は一番邪魔なちゃんちゃんこと呼んでいたのが懐かしく思われます。 私が開局したのは、免許をとってから5年くらい後のことでした。

中学では色々な思い出があります。 ある友達は私の通っていた中学校から別の学校に転校したのですが、片思いの子のことが忘れられずに戻ってきました。 片思いのその子も引越していて、別の中学校に通っていたのですが、どこでどう調べたかは全く記憶にないのですが、 その子の家を探して、一緒について行き、チャイムを鳴らすでもなく、ただじっと二人で家の様子を窺って何もせずに帰ってきた記憶があります。 その恋は、確か実らなかったと思います。
私も二度ほど、中学時代は片思いをしましたが、何のアクションも起こせず、淡い思い出だけが残りました。
翌年には高校受験に臨みましたが、志望の公立高校には合格することが出来ず、私立の高校をの受験しました。その高校は、 公立高校の受験に失敗した人が受ける学校で、願書を出した時点での倍率は10数倍、受験時でも3倍位はありました。 私にとっては、最初の大きな挫折でした。幸い、何とか合格しましたが、もし合格していなければ、次の学校を受けなければなりませんでした。

高校に入って

高校に入ってしばらくは大人しくしていたと思います(良く覚えていません) ここから、TBSとの関わりが始まります。中学校の時でも、ラジオを聴くと言うことはよくありましたが、積極的に関わることはありませんでした。
これから先の話は、記憶が定かでない部分が多々ありますので、勘違いや顛末の後先、その他があると思いますのでお含み置き下さい。 尚、私の記憶のほとんどは、高校入学(1970年4月)から3年生(1972年)の夏から秋で終わっていますので、その時期限定です。 (一部、中学時代の可能性もありますが……)

AM0

『AM0東北ヒットパレード』との出会いは、中学校か高校に入ってからか定かではありません。
深夜(?)午前0時から安田立和アナと高荒葵アナのDJで放送されていました。 日曜日の深夜だと色々なところで書かれているのですが、最初は火曜日か水曜日の深夜に放送されていいた記憶があるのですが……勘違いかもしれません。
みなさんがブログ等で書かれているとおり、悪のりする部分が多かった番組でしたが、おかげさまでどっぷりとつかることになりました。 もちろん担当するスタッフやDJが悪のりするというのではなくリスナーに正面から関わった結果だと思います。
ここからは記憶の羅列になると思いますが、記憶が薄くなりつつあり自分が忘れないためにも書き留めておこうと思います。

AM0のDJは(今はMCと言うんでしょうか?)TBSの局アナであった安田立和さんと高荒葵さんの個性豊かなコンビで放送されていました。
組織票が多く、ヒットパレードとタイトルに入っていながら、何の脈絡もなくベスト10に入ったりしていました。 どこかの高校だったと思いますが校歌が入ったり、何年も前の曲が入ったりしていました。 「資料」のtop100の邦楽の1位の恋人は、組織票ではありませんが、自然発生的に1位にしておこうという人が沢山いて、私もリクエストハガキを書いていたことを思い出します。 私も、何人かと組んで組織票を入れたことがありますが、東北放送の労働組合のストライキでAM0が中止となり、放送されず悔しい思いをしました。
当時は、放送局でもよくストライキがありなぜかその時はAM0が犠牲となるのでした。 私は当時は10時過ぎに就寝していましたので、わざわざ午前0時に目覚まし時計をセットし起きて拝聴していましたが、中止になったときは落胆していました。 今は大人の事情だと分かりますが、高校生の時は腹を立てたものでした。
組織票が多かったため番組では、組織票を禁止して、その替わり「組織票大会」的な事を何回かやったと記憶していますが……
ファンの集いが逢ったときのTOP100のリストを資料に載せましたのでご覧下さい。私にとってはとてもなつかしいものです。

スタジオ緑屋7

スタジオ緑屋7との出会いは、私にとって人生で、一度あるかどうかの出会いでした。
スタジオ緑屋7は、その当時仙台駅前にあった緑屋(今は既になくなって大分経ってしまいましたのでご存じない方がほとんどだと思います。) の7階のエレベーターを降りたとこにサテライトスタジオがあり、そこで毎日午後5時から30分間の生放送を行っていました。 7階は確か家具売り場だったと思いますが、サテスタ前以外の記憶はほとんどありません。 エレベータを降りると、20畳位のスペースがあり、その先に全面ガラス張りのサテスタがありました。スタッフの皆さんは金魚鉢と呼んでいました。
高校生になった私は、何度かサテスタに通ううちに虜になってしまい、毎日のように4時半頃にはサテスタ前に、陣取っていました。 ON AIRに先立ち、サテスタ前のお客さんは『リクエストリスト』の中から聴きたい曲をリクエストして聴いていました。 リストの番号が奇数になっているのは、私の記憶では次の場号がB面の局となっていてをリクエストするとB面をかけてくれるためでした。 フラッシュディスク等で続き番号になっているのはカートリッジに入ったテープだったと思います。 当然、まだその頃はカセットテープレコーダーはありませんでしたから、オープンリールのテープレコーダーでした。 うちにもソニーのテープレコーダーがありました。
サテスタに通っているうちに、いつも見かける常連さんと仲良くなり話をするようになりました。 金魚鉢の住人ともサテスタ前の集音マイク越しに話があったり、アナウンサーさんが、外に出てきた時に話をするようになりました。 最初に仲良くなった(?)のは及川弘子さんだったと思います。 当時、ピータールンペンというニックネームで呼ばれていましたが、考えた人は流石だなーと思いました。 今となっては思い出せることも少なくなってしまいましたが、TBCのほかの番組(確か希望音楽会だったような)の催しで、スケートに行ったと記憶しています。
しばらくそのような状態でラジオライフを楽しんでいたのですが、及川さんはスタジオ緑屋7の担当を外れてしまい、その後、東京へ進出しました。 走れ歌謡曲のパーソナリティーやFM局で活躍されていたようですが、その後については全く分かりません。 今、何をなさっているか気になってネットで調べてみたりしましたが、その後の消息は分かりませんでした。私の高校時代、一番気になった女性でした。
番組の担当を降りるときに、『リクエストリスト』がゴミ箱に捨ててあるのを貰いうけて、いまだに大切に持っています。 『リクエストリスト』を見るたびに色々なことを思い出します。

7(SEVEN)

スタジオ緑屋7に入れ込んでいった私でしたが、サテスタに足を運んで、音楽を聴いたり、友達が出来ただけでは、満足できなかったんだと思います。 昔の話なので、記憶も定かではありませんが、スタッフ(私の記憶では松田アナだったと思いますが、自信はありません。間違っていたらごめんなさい。) に、番組の機関誌みたいな物を作りましょうよと言うことで、サンプルを私が作成して、北村チーフの了解を貰い発行するようになりました。 今思うと良くやったものだと思います。報酬をもらうでもなく、手間をかけて黙々と机に向かい、原稿を書いて渡していました。 第1号が出たときは、やっと出たと思ってうれしかったのと、原稿と実際印刷物になったときの差があるな-と感じたのを覚えています。 それが、第2号、第3号と発行するうちに、原稿を渡さなければ行けない等プレッシャーを感じるようになりました。 内容については、全号hpにありますので、よろしければ見て下さい。
最初のころは一所懸命で原稿を集めて無我夢中でやっていましたが、何号か発行しているうちに負担となってきました。 「7」も認知された頃、編集をしてくれる人を番組で募集してもらい、2つのグループで交互に編集するようになりました。 そうこうしているうちに、私は高校3年生になり受験が近くなったことから編集から卒業しました。 間もなく、「7」が終わってしまったようです。
受験も終わりましたが、SM7もスタッフが入れ替わってしまい、サテスタに通うこともなくなってしまい、ラジオで聞く事も少なくなってしまいました。 サテスタが7階から5階に移ったときに一度、サテスタに行った記憶がありますが、知っている人もほとんどおらずに寂しい思いをしました。 番組自体も1976年4月には終わってしまいました。

私にとって青春でした。

資料

AM0
Tohoku Hit
Parade Top100

7
(seven)

7(seven)原稿

スタジオ緑屋7
パンフ

第3回
スタジオ緑屋7
ファンの集い

第4回
スタジオ緑屋7
ファンの集い

第5回
スタジオ緑屋7
ファンのつどい
招待券

さようなら
スタジオ緑屋7
ファンの集い

スタジオ緑屋7
リクエストリスト

スタジオ緑屋7
リクエストカード



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